【12歳差】十朱幸代と西城秀樹の出会いは?結婚寸前で破局した3つの理由!

国民的女優である、十朱幸代(とあけ ゆきよ)さん。

数々のドラマや映画に出演し、5度も日本アカデミー賞を受賞しています。

そんな十朱幸代さんですが、かつて西城秀樹さんと結婚間近と言われていました。

そこで今回の記事は、

十朱幸代と西城秀樹の出会いは?
十朱幸代と西城秀樹が結婚寸前で破局した3つの理由!
十朱幸代のwiki経歴プロフィール!

こちらの内容でまとめていきます。

目次

【12歳差】十朱幸代と西城秀樹の出会いは?

十朱幸代さんは、西城さんより12歳年上で、出会った当初46歳、西城秀樹さんが34歳でした。

十朱幸代さんは恋多き女と言われていましたが、これまで一度も法律上の結婚はしていません。

十朱幸代さんと西城秀樹さんは、1989年5月放送のNHKドラマ「夜の長い叫び」で共演。

撮影で転びそうになった十朱幸代さんを、西城秀樹さんがかばったことをきっかけに、恋に落ちたと言われています。

また、初出演で緊張していた西城秀樹さんを、ベテラン女優の十朱幸代さんがサポートしたそうです。

1989年には、フライデーで2人の交際がスクープ。

十朱幸代さんが西城秀樹さんのミュージカル「坂本竜馬」を何度も観に行き、最終日は新オリエンタルホテルで、朝から2人で珈琲を飲んでいたとか。

そこからワイドショーに追いかけられ、西城秀樹さんは「真剣に愛しています」と交際宣言。

十朱幸代さんも「西城さんとはフィーリングが合う」と、堂々と答えていました。

同年秋には、2人でハワイ旅行へ行く予定が、ワイドショーが先回りして現地で待機していたので、断念。

ゴルフ場に行った際、隣のコースで芸能人ゴルフ大会をやっていて、慌てて逃げたこともあったそうです。

翌年、十朱幸代さんが芸術座の正月公演に出演した際は、2人で電車に乗って芸術座へ向かっています。

大物カップルが着物姿で電車に乗っていたので、大騒ぎになったそうですよ。

同年3月、2人で10日間のロサンゼルス旅行へ向かい、ゴルフやスキューバダイビングを一緒に楽しみました。

成田空港に帰国した際も、マスコミの前で堂々と一緒にゲートから出てきたり、全く隠す様子はありませんでした。

12歳の年齢差はありましたが、不倫でもないですし、人目を気にしないのは、二人とも真面目にお付き合いされていたということでしょう。

のちに西城秀樹さんが亡くなった年には、十朱幸代さんが自叙伝を出版しています。

西城秀樹さんを連想させる、年下の恋人とのエピソードが出てきたようです。

2人の出会いだったドラマ「夜の長い叫び」について、

「坂道の途中で何かにつまずいてしまい、体が宙に浮きました。転びかけたのです。「あ、このまま地べたに叩きつけられる!」 恐怖にかられたその瞬間、彼は私の横に回り込み、倒れる私の下敷きになって、私を受け止めてくれました。」

引用:女性セブン

まさに運命の出会いだったのですね。

【12歳差】十朱幸代と西城秀樹が結婚寸前で破局した3つの理由!

結婚間近ともいわれていた、十朱幸代さんと西城秀樹さん。

2人が破局した理由は、何だったのでしょうか。

調べてみたところ、3つの理由が浮上しました。

十朱幸代と西城秀樹が結婚寸前で破局した3つの理由

①周囲に反対された
②年齢
③小坂一也との関係

順番に見ていきましょう。

理由①周囲に反対された

十朱幸代さんと西城秀樹さんの破局理由1つ目は、周囲に反対されたからです。

十朱幸代さん46歳、西城秀樹さん34歳という年の差カップルだった2人。

2年後には西城秀樹さんが破局を告白し、マスコミから「恋多き十朱に秀樹が遊ばれた」と憶測が飛び交いました。

しかし、のちに十朱幸代さんが自著伝で、「婚約寸前まで行きました。」と告白。

実は、「婚約発表会見を1週間後に準備する」というところまで行っていたそうです。

しかし、自身の家族や西城秀樹さんの家族は猛反対。

十朱幸代さんがそれを振り切っても結婚する、という覚悟が持てず、西城秀樹さんが冷めてしまったようです。

「“(結婚)したいな”と思ったことがあったんですよ。結婚式ギリギリ、発表の1週間くらい前まではそのつもりでいたんですけど。もう、すごい反対で。私の家族、母とか兄とか妹とかが反対で。で、あちらのご家族ともお目にかかったんですけど、感じのいい方たちだったんだけど、やっぱり、ものすごい反対なんです」

引用:女性セブン

十朱幸代さんが動揺している様子から、西城秀樹さんが「やっぱり結婚はダメなのか」と、だんだん気持ちが離れていってしまったようです。

理由②年齢

十朱幸代さんと西城秀樹さんの破局理由2つ目は、年齢です。

2人の年齢差は12歳で、十朱幸代さんは45歳。

年齢的に子供を考えるのは難しく、西城秀樹さんの親族も、「子供が産めない女性はダメ」と反対したそうです。

「私は50歳手前だったのですが、やはり結婚すると(相手は)子供を持ちたいでしょうし、私自身の仕事の両立も可能かな、と思ったのですが、すごい周りの大きな反対で、そこを押し切ってまでの自信がなかった」

引用:女性セブン

もう少し若かったら、周囲から反対されなかったのかも・・・と悩んだこともあったようですね。

理由③小坂一也との関係

十朱幸代さんと西城秀樹さんの破局理由3つ目は、小坂一也さんとの関係です。

十朱幸代さんは、歌手・俳優の小坂一也さんと長年事実婚状態でした。

1959年、小坂一也さん24歳、十朱幸代さん17歳のときに、映画「惜春鳥」で共演して交際似合ってん。

2人とも職業柄、形式にはとらわれたくないと、入籍せずに事実婚の状態でした。

1974年のお正月には、挙式のみ執り行っています。

しかし同年、小坂一也さんから「好きな人ができた」と、一方的に終わりを告げられました。

好きな人とは、ドラマ「阿蘇の女」で共演した女優・松坂慶子さんでした。

十朱幸代さんが17歳のときから15年間、事実婚状態だったので、そのショックはかなり大きかったそうです。

「長年、家族のように一緒に暮らしていたのに、ある日突然、『他に好きな人ができたから別れたい』と、私より若い女優さんの元へ行ってしまって。失恋当時、私はいわゆる適齢期の32歳。自分の全てを注ぎ込み、積み重ねてきたはずの愛と信頼はどこに行ったの? 『女のいちばんいい時を捧げたのに!』とも思いました(笑)」

引用:女性セブン

仕事のおかげで立ち直った十朱幸代さんが出会ったのが、西城秀樹さんだったそうです。

このようなつらい経験があるからこそ、結婚に踏み切れなかったのかもしれません。

十朱幸代のwiki経歴プロフィール!

氏名  :十朱幸代(とあけ ゆきよ)
本名  :小倉幸子(おぐら ゆきこ)
生年月日:1942年11月23日(82歳)
出身地 :東京都中央区日本橋
身長  :163cm
血液型 :O型
学歴  :文化学院高等部

十朱幸代さんは父が俳優の十朱久雄さんで、日本橋で麻問屋「小倉貿易」を営む家系でした。

父も母も芝居好きだったことから、十朱幸代さんも芝居や映画に慣れ親しんで育ちます。

中学生でモデルを始め、父親と見学に訪れたNHKでスカウトされました。

1958年、NHK『バス通り裏』でデビューし、翌年には映画『惜春鳥』で映画デビュー。

1971年には『ゼロの焦点』で日本放送作家協会女性演技賞を受賞し、その後日本アカデミー賞優秀主演女優賞など5回にわたって受賞。

1980年『震える舌』、1985年『花いちもんめ』でブルーリボン主演女優賞を受賞。

以降も、テレビ・映画・舞台で活躍されています。

まとめ

今回の記事は、

十朱幸代と西城秀樹の出会いは?
十朱幸代と西城秀樹が結婚寸前で破局した3つの理由!
十朱幸代のwiki経歴プロフィール!

十朱幸代さんと西城秀樹さんは、ドラマ共演がきっかけで出会い、交際をオープンにしていました。

しかし2人の年齢差から周囲の反対にあい、結婚に踏み切れずに破局しています。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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